1回目

  • 小説『連鎖の海』好評発売中!

 この小説は、逗子開成中學ボート遭難事故の謎を追求したものです。

詳細は本書に纏めてありますので、ここでは、その中で判明した冤罪事件と、あまり

説明の出来なかった点について補足をしていきたいと思います。

 小説と並行してお読みいただけるとよりご理解いただけると思います。

 よろしくお願い致します。

 

  • そもそも~~

 明治43年1月23日、逗子開成中學の生徒たちが、勝手にボートを持ち出し、鎌倉七

里ヶ浜沖で遭難、12名が亡くなった事故です。

 逗子開成中學の姉弟校であった鎌倉女学校の教諭であった三角錫子先生は、その訃報  

に接し、亡くなった生徒たちの死を悼み、哀悼歌を作詞します。その歌は、遭難生徒追悼大法会で、同校女学生により歌われ、評判になり、大正~昭和にかけて一世を風靡します。

第二次世界大戦後も、その流れは続き、名だたる歌手が持ち歌にしました。

 

  • 平成に入って

ところが、この哀悼歌『七里ヶ浜の哀歌』(後に『眞白き富士の根』と美称)は、昭和

60年前後から歌われなくなり、平成の時代になると殆ど顧みられることが無くなってしまいました。

 『眞白き富士の根』を作詞した三角錫子先生が、遭難事故に遭った逗子開成中学の生徒の一人と不適切な関係にあった、というのがその一因でした。出処元は、宮内寒彌氏の小説『七里ヶ浜』とされ、それを受けたネット上のフリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』が宮内寒彌氏をして、『(同小説は)事故に遭った生徒たちの中に二十歳近い三角の愛人生徒もいたという事実を明らかにした』と明言したのです。

 不適切な関係がその背景にある『眞白き富士の根』は、連座制が適用されるようにメディアから無視されることになってしまったのです。