2回目

  三角先生の元へ、事故死した木下三郎が深夜訪ねてシーンがあります。

  私は、霊エネルギーは性エネルギーが転化したものであると考えます。亡霊と言うと若い人の多いことに気が付きませんか?これは、子孫を残せずに不慮の死を遂げた若者の慚愧な思いがこの世に残渣となって残るからなのです。

  性エネルギーの背景には、精子軍団、卵子軍団が控えています。

  人間は、死んだらどうなるのか、死後の世界はあるのか、という永遠の命題があります。そのことを考える為は、まず、自分は何故生まれたのか、という疑問を解く必要があります。人間の誕生が、受精の瞬間と考えると、たった1個の精子卵子が出合う確率はどの程度なのか。それは、地球上の全人類の中で、たった一人選ばれる以上の有り得ない確率なのです。正に自分が生まれたのは、奇跡以外の何物でもありません。それでは、何故奇跡は起きたのでしょうか?それは、時空間が無限大だからです。

  有限の世界では、井の中の蛙のように、無限大の世界をイメージ出来ません。

  無限大の世界は、有るか無いかの二者択一ではなく、有ったり無かったり、有るかもしれないし、ないかも知れないという世界なのです。

占いの、当たるも八卦、当たらぬも八卦は、正しかったのです。

1回目

  • 小説『連鎖の海』好評発売中!

 この小説は、逗子開成中學ボート遭難事故の謎を追求したものです。

詳細は本書に纏めてありますので、ここでは、その中で判明した冤罪事件と、あまり

説明の出来なかった点について補足をしていきたいと思います。

 小説と並行してお読みいただけるとよりご理解いただけると思います。

 よろしくお願い致します。

 

  • そもそも~~

 明治43年1月23日、逗子開成中學の生徒たちが、勝手にボートを持ち出し、鎌倉七

里ヶ浜沖で遭難、12名が亡くなった事故です。

 逗子開成中學の姉弟校であった鎌倉女学校の教諭であった三角錫子先生は、その訃報  

に接し、亡くなった生徒たちの死を悼み、哀悼歌を作詞します。その歌は、遭難生徒追悼大法会で、同校女学生により歌われ、評判になり、大正~昭和にかけて一世を風靡します。

第二次世界大戦後も、その流れは続き、名だたる歌手が持ち歌にしました。

 

  • 平成に入って

ところが、この哀悼歌『七里ヶ浜の哀歌』(後に『眞白き富士の根』と美称)は、昭和

60年前後から歌われなくなり、平成の時代になると殆ど顧みられることが無くなってしまいました。

 『眞白き富士の根』を作詞した三角錫子先生が、遭難事故に遭った逗子開成中学の生徒の一人と不適切な関係にあった、というのがその一因でした。出処元は、宮内寒彌氏の小説『七里ヶ浜』とされ、それを受けたネット上のフリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』が宮内寒彌氏をして、『(同小説は)事故に遭った生徒たちの中に二十歳近い三角の愛人生徒もいたという事実を明らかにした』と明言したのです。

 不適切な関係がその背景にある『眞白き富士の根』は、連座制が適用されるようにメディアから無視されることになってしまったのです。